循環都市事例集

アムステルダム市におけるドーナツ経済モデル導入の多角的分析:都市のレジリエンスと循環型成長への貢献

Tags: 循環経済, 都市計画, ドーナツ経済, アムステルダム, 持続可能性

事例概要

アムステルダム市は、オランダの首都であり、循環型経済への移行を強力に推進する世界的な先進事例として注目されています。特に、2020年に採択された「アムステルダム循環戦略2020-2025」では、経済学者ケイト・ラワース氏が提唱する「ドーナツ経済学(Doughnut Economics)」の枠組みを都市レベルで初めて本格的に導入したことで知られています。この戦略は、都市経済を地球の生態学的限界(環境的上限)と社会的な基盤(社会的下限)の間に収めることを目指し、資源の循環利用、廃棄物削減、社会的不平等の解消を通じた都市のレジリエンス強化と持続可能な成長を目指すものです。

背景・目的

アムステルダム市がドーナツ経済モデルの導入に至った背景には、グローバルな環境問題とローカルな社会経済的課題への強い危機意識があります。過剰な資源消費、廃棄物の増大、CO2排出量増加といった環境負荷の増大は、気候変動や生物多様性の喪失といった地球規模の課題に直結していました。同時に、都市部における格差の拡大、住宅問題、食料安全保障といった社会課題も顕在化していました。

このような状況に対し、従来の直線型経済(Take-Make-Dispose)では持続可能な発展が不可能であるとの認識が共有されました。アムステルダム市は、SDGs(持続可能な開発目標)やパリ協定の目標達成に貢献するため、そして都市の魅力を将来にわたって維持するため、経済活動を地球の許容範囲内に収めつつ、市民全員が必要なものを行き渡らせるというドーナツ経済の理念に共鳴しました。具体的な目的として、2030年までに一次資源の消費量を50%削減し、2050年までに完全な循環型都市となることを掲げています。

具体的な取り組み

アムステルダム市は、ドーナツ経済モデルの導入にあたり、以下の3つの主要な循環フローに焦点を当て、具体的な施策を展開しています。

  1. 生物学的フローの循環(Biocycle): 食料、繊維、木材などの生物学的資源を最大限に活用し、廃棄物を堆肥化やバイオガス化などで資源として循環させる取り組みです。

    • 食品廃棄物ゼロ戦略: レストランやスーパーマーケットからの食品廃棄物削減、家庭での食品ロス削減キャンペーン、生ごみの分別収集と堆肥化・バイオガス化の推進。
    • 都市農業の奨励: 地域内での食料生産を増やすことで輸送距離を短縮し、サプライチェーンのレジリエンスを高める。
    • バイオベース建材の利用: 建設部門における木材やその他のバイオベース材料の利用を促進し、環境負荷を低減。
  2. 技術的フローの循環(Technocycle): プラスチック、金属、鉱物などの技術的資源を再利用、修理、再製造、リサイクルすることで、その価値を最大限に保つ取り組みです。

    • 建設部門の循環性向上: 建設・解体廃棄物のリサイクル率向上、モジュール式建築の導入、建物の長寿命化設計、建築部品の再利用促進。例えば、既存のインフラ解体時に発生するアスファルトやコンクリートは新たな道路や建材へと再利用されています。
    • 消費財のシェアリング・サービス化: 自転車シェアリング、工具のレンタルサービス、修理カフェの普及など、所有から利用への移行を促進。
    • 公共調達における循環基準の導入: 市が調達する製品やサービスにおいて、循環性、耐久性、リサイクル可能性を重視する基準を設定。
  3. エネルギーフローの脱炭素化: 化石燃料への依存を減らし、再生可能エネルギーへの移行を加速させる取り組みです。

    • 再生可能エネルギー源への投資: 風力発電、太陽光発電の導入拡大、地域暖房システムにおける地熱や廃熱の利用。
    • 省エネルギー化の推進: 建築物の断熱改修支援、スマートグリッド技術の導入。

これらの取り組みは、単一の部門に限定されず、都市計画、公共サービス、産業振興、市民参加といった多様な側面から統合的に進められています。

導入プロセスと体制

アムステルダム市のドーナツ経済モデル導入は、トップダウンとボトムアップのアプローチを組み合わせた多層的なプロセスを通じて実現されました。

  1. ビジョンの策定と政治的リーダーシップ: 2019年、市議会がケイト・ラワース氏のドーナツ経済モデルを公式に採用することを決定し、明確な政治的コミットメントを示しました。フェムケ・ハルセマ市長をはじめとする市の上層部が強力なリーダーシップを発揮し、戦略の策定と実行を主導しました。
  2. 専門家チームとパートナーシップ: 市の経済部門に「循環経済チーム」を設置し、ドーナツ経済モデルの具体的な実装計画を策定しました。同時に、ドーナツ経済アクションハブ(Doughnut Economics Action Lab, DEAL)や世界経済フォーラム(WEF)といった国際機関、デルフト工科大学などの学術機関、Cirkelstad(循環都市ネットワーク)のような国内の産業連携プラットフォームと緊密に連携しました。
  3. 市民・企業との対話と共創: 市は、企業、スタートアップ、NPO、市民団体、そして一般市民との対話を重視し、ワークショップや意見交換会を継続的に開催しました。特に、COVID-19パンデミック後の経済回復計画においては、ドーナツ経済の原則が中心に据えられ、様々なステークホルダーからのアイデアを募集し、具体的なプロジェクトへと昇華させました。
  4. 資金調達: EUのグリーンディール関連基金、オランダ政府の持続可能性関連補助金、そして民間投資や官民連携(PPP)を通じて資金が調達されています。

成果と効果

アムステルダム市におけるドーナツ経済モデルの導入は、定量的・定性的に複数の成果をもたらしています。

成功要因と課題

アムステルダム市のドーナツ経済モデル導入の成功要因は多岐にわたりますが、同時にいくつかの課題も存在します。

成功要因:

  1. 明確なビジョンと政治的コミットメント: ドーナツ経済という分かりやすく説得力のあるフレームワークを都市戦略の核に据え、強力な政治的リーダーシップの下で推進されたことが成功の大きな要因です。
  2. 学術的裏付けと実践的アプローチの融合: ケイト・ラワース氏の理論を、アムステルダムの具体的な状況に落とし込み、実用的な政策へと変換した点が特筆されます。理論と実践の密な連携が、戦略の説得力と実行可能性を高めました。
  3. 多部門・多ステークホルダーの巻き込み: 市庁内の部署横断的な連携に加え、企業、研究機関、市民社会組織、そして市民を巻き込んだ共創プロセスが、広範な合意形成と多様なアイデアの創出に貢献しました。
  4. 具体的な目標設定とロードマップ: 2030年、2050年といった具体的な目標年次と、資源消費削減率や廃棄物ゼロといった数値目標を掲げ、ロードマップを明確に示したことで、関係者全員が共通の目標に向かって努力する方向性が示されました。

課題:

  1. 既存産業構造からの抵抗: 長年確立されてきた直線型経済の産業構造を変革するには、既存企業からの抵抗や適応の遅れといった課題が伴います。特に、大規模な設備投資を伴う産業においては、移行へのインセンティブ設計が重要となります。
  2. 市民の行動変容のさらなる促進: 分別収集の徹底、シェアリングサービスの利用拡大、過剰消費の見直しなど、市民一人ひとりの行動変容は不可欠です。啓蒙活動やインフラ整備は進められているものの、習慣化にはさらなる努力が必要です。
  3. 指標設定とデータ収集の複雑さ: ドーナツ経済モデルは多次元的な概念であり、その進捗を測るための包括的かつ具体的な指標設定、およびデータの継続的な収集・分析には複雑さが伴います。真の循環性を評価するための指標開発が継続的な課題です。
  4. グローバルサプライチェーンへの影響: 都市レベルの取り組みだけでは、グローバルな資源調達や生産ネットワーク全体における循環性を完全にコントロールすることは困難です。サプライチェーンの上流・下流におけるパートナーシップ構築と国際的な政策連携が今後の課題となります。

学術的示唆と展望

アムステルダム市のドーナツ経済モデル導入事例は、循環型都市計画の研究に対し、以下のような重要な学術的示唆を提供します。

まず、理論モデルの都市レベルでの実践可能性に関する貴重なケーススタディとなります。ケイト・ラワース氏のドーナツ経済学が、抽象的な概念に留まらず、具体的な政策ツールや都市計画に落とし込まれるプロセスと、それに伴う実践的な課題が明確に示されています。これは、他の都市や地域における同様の取り組みへの応用可能性とその限界を考察する上で、極めて重要なデータを提供します。

次に、多次元的な持続可能性指標の開発と評価の必要性を浮き彫りにします。経済的成長、環境負荷削減、社会的不平等の解消という多角的な目標を同時に追求する際、従来のGDPのような単一指標では測れない進捗をどのように定量化し、評価するべきかという研究テーマが提示されます。特に、ドーナツの「社会的下限」を満たすための指標化とデータ収集は、今後の社会科学的な研究の重要なフロンティアとなるでしょう。

さらに、都市ガバナンスにおける新しいアクターと連携モデルの重要性を示唆します。本事例は、地方自治体が学術機関、国際組織、民間セクター、そして市民社会とどのように連携し、複雑な社会変革を推進していくか、その成功と課題のパターンを分析する上で有用です。特に、COVID-19パンデミックのような予期せぬ危機が、循環型経済への移行を加速させる契機となりうるか、あるいは停滞させる要因となりうるかという点も、都市のレジリエンス研究における新たな視点を提供します。

展望としては、アムステルダム市の取り組みは、世界の都市が直面する資源枯渇、気候変動、社会格差といった複合的な課題に対する包括的な解決策を模索する上で、引き続き重要な参照点となるでしょう。今後は、導入された施策の長期的な効果評価、市民行動変容のメカニズム分析、そしてグローバルなサプライチェーンにおける循環性向上への貢献といった側面からのさらなる研究が期待されます。

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